服部良一(羽鳥善一のモデル)の経歴は?家族は?【NHK朝の連続テレビ小説】

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こんにちは。
管理人のピリカです。

2023年後期のNHK連続テレビ小説「ブギウギ」も1/3が終わりましたね。
主人公の福来スズ子に関わる重要な役の
作曲家の「羽鳥善一」。

「羽鳥善一」のモデルとなったのは、
作曲家の服部良一さんです。


出典:https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6566/

今回は、この方について調べてみました。

服部良一さんの経歴は?

服部良一(はっとり りょういち)さん
1907年(明治40年)10月1日生まれ
1993年(平成5年)1月30日没

出身地 大阪府大阪市

父親 久吉は、土人形師 母親はスエ
姉と妹がいたようです。
芸事好きの家族の影響で郷土の民謡である江州音頭や河内音頭を子守唄代わりに育ったそうです。
小学校から音楽の才能があったようですが、卒業後、昼は働き夜は大阪市立実践商業学校で勉強したそうです。

1923年 9月
姉の勧めがり、給料をもらいながら好きな音楽ができるということで千日前の鰻料理店のいづもやが宣伝のために結成した『出雲屋少年音楽隊』に一番の成績で入隊。(これは姉の勧めもあったそうです。)
担当はオーボエ、その後、サックスとフルートに転向したそうです。
残念ながら、『出雲屋少年音楽隊』は1年で解散しました。

1926年にラジオ放送用に結成された大阪フィルハーモニック・オーケストラに入団(第2フルートを担当)。ここで亡命ウクライナ人のエマヌエル・メッテル氏に見いだされ、4年間学んだそうです。
オーケストラの傍らジャズ喫茶でピアノを弾いていたそうです。
1931年 タイヘイ・レコード専属作曲家となりますが、タイヘイレコードの方針に嫌気がさし、
1933年に上京します。そして、人形町ユニオン・ダンス・ホールで、テナー・サックス担当するようになります。

1935年 12月8日 富澤万里子と結婚します。
1936年 コロムビア・レコードの専属作曲家となる。
第1作目は、 淡谷のり子が歌った『おしゃれ娘』(当時最先端の音楽であったスウィングジャズのイディオムをふんだんに取り込んだ斬新な作品だったそうです)
そして、淡谷のり子『別れのブルース』(黒人ブルースをベースにした作品で、服部良一の意向を汲みアルトの音域で歌った曲です。)で一流の作曲家として認めれらました。

1938年 松竹歌劇団の副指揮者となります。
「別れのブルース」「雨のブルース」(淡谷のり子 唄)が大ヒットします。
1940年  東宝映画「支那の夜」の主題歌の「蘇州夜曲」(歌:霧島昇・渡辺はま子)を作曲し、ヒットします。
そのほか 中野忠晴の『チャイナ・タンゴ』、モダンの余韻を残す霧島の『一杯のコーヒーから』、高峰三枝子のブルース調の『湖畔の宿』、機知にとんだコロムビア・ナカノ・リズムボーイズの『山寺の和尚さん』、渡辺の『いとしあの星』など たくさんのヒット曲があります。
1944年上海に渡り活動します。
1945年 終戦を上海で迎え、12月帰国。

終戦後に笠置シヅ子との提携で『東京ブギウギ』『ヘイヘイブギ』、戦後のプロ野球ブームを歌った『ホームラン・ブギ』、大阪弁をモチーフにした『買物ブギ』などのブギウギの名曲をヒットさせました。このほか主要な作品には、藤山一郎、奈良光枝による『青い山脈』、二葉あき子が歌った『夜のプラットホーム』、霧島昇が歌った『夢去りぬ』・『胸の振り子』、近江敏郎と二葉あき子によるタンゴ調の『黒いパイプ』、ビクターでは灰田勝彦が歌った『東京の屋根の下』、市丸の『三味線ブギウギ』などがあります。

 


出典:https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6566/

他にも学校の校歌や県民歌を作曲したりしています。

また作詞家として「村雨まさを」の名前で活動していて、『買物ブギ』や『銀座セレナーデ』を発表しヒットさせました。
1969年に紫綬褒章を受章。
1978年に勲三等瑞宝章も受章。
1987年、品川区名誉区民に選出される。
1993年 国民栄誉賞 受賞(死後に受賞しました。)

服部良一さんの家族は?

子どもは、男の子が2人と女の子が3人。
服部克久さん 作曲家
服部良次さん(芸名:服部吉次) 「劇団黒テント」創設メンバーで舞台俳優
服部初音さん、服部梢さん、服部早苗さん(旧姓で表記)

孫に
服部克久さんと時子さんの
長男で作曲家の服部隆之さん(NHK朝ドラ『ブギウギ』で音楽を担当しています。)
長女で音楽畑出版代表取締役の服部奈緒さん、

服部吉次さんと女優の石井くに子さん
次男でバレエダンサー・振付師の服部有吉さん

曾孫に
服部隆之さんとヴァイオリニストの岡本(服部)エリさん
長女でヴァイオリニストの服部百音さん。

歌手で宝塚歌劇団出身の服部富子さん(芸名:水間扶美子)は妹
妹の服部登美子さんとは、S45年に「あに・いもとの会」を銀座ヤマハホールにて行ったりしていました。

笠置シズ子との関係は?

1938年に「松竹楽劇団」(SGD)が創設したとき、服部良一さんは、副指揮者になります。そこで、笠置シズ子さんと出会います。
服部良一さんと笠置シズ子さんは、子弟の関係でししたが、あまりに関係か蜜だったので、男女の関係にあったのではないかと噂されたこともありました。
その時、笠置シズ子さんは「あの人はワテの先生やがな、しょーもない。すぐうわさを立てられてしまう」と一蹴していたそうです。
笠置シズ子さんは二人の関係を「人形遣いと人形、浄瑠璃の太夫と三味線のように切っても切れない関係」と言っていました。


出典:https://columbia.jp/kasagi/

まとめ

「ブギウギ」の羽鳥善一のモデルとなっている服部良一さんは、数々のヒット曲を生み出したすばらしい音楽家でした。また、その後のお子さんやお孫さんたちも音楽家や俳優など芸能活動をされています。
「ブギウギ」のドラマの中でも福来スズ子と男女の関係かと週刊誌沙汰になっていましたが、実際にも笠置シズ子さんとは、男女の仲を疑われるほど深い関係があったようですが、あくまで、音楽を通した子弟の深い関係だったようですね。

 

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