こんにちは
管理人のピリカです。
今日、ニュースで徳田虎雄氏の訃報がながれました。
以前、話題になってた人だなとは思ったのですが、どんな人かなと思い、調べてみました。
また、必ず、「徳洲会」というワードもついてくるのでこちらも調べてみました。
徳田虎雄氏とは?
出典:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240711/k10014508561000.html
徳田虎雄(とくだ とらお)
・生年月日 1938年〈昭和13年〉2月17日
・没日 2024年〈令和6年〉7月10日)(享年86歳)
・出身大学 大阪大学医学部医学科
徳田虎雄氏の実弟が医療を受けられなかったことによる急病死をきっかけに医師を志したそうです。阪大受験のため大阪へ。(父親が先祖伝来の農地を切り売りして仕送りをして学資を支えてくれたそうです。)二浪して合格
・医療法人徳洲会理事長、衆議院議員(4期)他歴任
・鹿児島県大島郡徳之島町出身(出生は兵庫県高砂市)
【経歴】
1973年(昭和48年)徳田病院を大阪府松原市に設置
1975年(昭和50年)、医療法人徳洲会を設立した。
「生命いのちだけは平等だ!」がスローガン
「24時間、救急患者を受け入れる」
「患者からの贈り物は一切受け取らない」
「差額ベッドの廃止」等、
それまでの医療の常識を打ち破る特異な方針を打ち出して実行し、全国の医療機関に大きな影響を与えたそうです。
1990年(平成2年)の衆議院総選挙に徳田虎雄氏は無所属で初当選し自由連合を結成
1993年(平成5年)の衆議院総選挙では、選挙直前自民党に入党(日本医師会の意向でわずか3日で追放)
2002年(平成14年)4月1日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の発病
2005年(平成17年)政界引退(次男徳田徳田毅が2012年衆議院に立候補、当選)
2010年に新築された神奈川県鎌倉市の湘南鎌倉総合病院最上階15階にある、電子錠付の富士山を望む特別室で治療を受けながら、文字盤を使ったコミュニケーションにより徳洲会を経営し最高決定権を掌握していた。
2024年7月亡くなった。
徳洲会事件とは
徳洲会事件とは、徳洲会グループの運営方針を巡って、創業者の徳田虎雄氏とその親族と事務方トップである徳洲会事務総長が2012年に対立。事務総長は同年9月に事務総長職を解任され、2013年2月に懲戒免職となりグループから追放された。
その時、元事務総長のリークによって、創業者の徳田虎雄氏とその親族の女性問題や選挙違反事件や政界との金の問題が明らかになった。
創業者の徳田虎雄氏とその親族やグループ幹部らが立件された。また、次男で政治家の徳田毅は政務官辞任、衆議院議員辞職に繋がった。また、徳洲会の金が政界に流れていたことが判明して、東京都知事辞任にも発展した。
東京地検特捜部は、徳田虎雄の娘2人を含めた6名を逮捕し、その後徳田虎雄夫人の徳田秀子も逮捕したが、徳田虎雄本人については、起訴相当と考えながらも、生命の危険があるため、中止し、病状などの行方を見て、判断を見送ることを決定。
選挙戦では、病院の職員が病院から給与をもらいながら、選挙の手伝いをしていた。
一方で、創業者の徳田虎雄氏の親族側も元事務総長を刑事告訴し、元事務総長が業務上横領で立件される事態となった。
まとめ
徳田虎雄氏は、医師になる思いや患者のことを優先した治療というところでは、素晴らしい医師だったのでしょうが、国会議員になり権力が手にはいると少しずつ世間とずれていったのでしょうね。また、その家族は、まるで財閥を取り上げた韓国ドラマのようだったのおかもしれませんね。
ご冥福をお祈りします。
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