雄谷良成(佛子園 理事長)の原点は『ごちゃまぜ』で育った子ども時代【カンブリア宮殿】

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こんにちは。
管理人のピリカです。

「令和6年能登半島地震」から半年が過ぎ、寒い季節から暑い季節に変わろうとしています。
今回は、石川県白山市とにおいて、子どもから高齢者、障害や疾病の有無・国籍等にかかわらず、全ての人が一緒に共生するまちとしての社会福祉施設「佛子園」や、金沢市において、かつての地域コミュニティ再生を目的に、障害者を持った人と健常者・大学生をはじめとする若者と高齢者など様々な人が一緒に分け隔てなく暮らせる社会福祉施設Share金沢(シェア金沢)などを運営している雄谷良成氏について調べてみました。(雄谷良成氏が運営する施設でも利用者や職員の方たちも多く被災したということです。)
現在は、能登半島地震からの“創造的復興”に向けて『NOTO, NOT ALONE 研究所』を社会福祉法人佛子園で、立ち上げて たそうです。

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出典:https://dialoguetemple.com/ryosei-oya/

雄谷良成氏の経歴

1961年 石川県金沢市生まれ
1980年 星稜高等学校卒業
1985年 金沢大学教育学部卒業
大学卒業後は、
・特別支援学級教員としてカリキュラムを作成
・障害者教育の指導者を育成するために青年海外協力隊の一員としてドミニカ共和国に滞在
・財団法人フンダシオン・オーサカ(ドミニカ共和国、医療過疎地病院建設)センター長
・北國新聞社
・金城大学非常勤講師

1995年(34歳)34歳で実家に戻った雄谷良成氏は、僧籍取得のため日蓮宗の信行道場に入り、
現在は、祖父が開設した社会福祉法人佛子園理事長、及び普香山蓮昌寺(ふこうざん れんじょうじ)住職を務めています。

2024年 「令和6年能登半島地震」で施設の利用者や職員の方たちも被災をした中、いち早く日常を取り戻したそうです。
そこには、青年海外協力協会(JOCA)での活動や全国各地で災害支援活動にも取り組んできた実績があり、その経験を元に、どうしたら被災者の暮らしを守り、災害関連死を防げるのか? 佛子園ならではの復興戦略を考え実行したからだそうです。

2024年 雄谷良成氏は、『NOTO, NOT ALONE 研究所』を社会福祉法人佛子園が、能登半島地震からの“創造的復興”に向けて輪島KABULETの就労事業として立ち上げたそうです。

雄谷良成氏のごちゃまぜな子ども時代

佛子園は、1960年に知的障害児の入所施設として先代の住職である雄谷良成氏の祖父によって創設されました。
その翌年の1961年に雄谷良成氏が生まれました。
両親、祖父ともに施設で働いていたので、障害者たちと同じ屋根のもとで生活していました。
多忙な家族の代わりに施設を利用する彼らに抱きかかえてもらったり、遊んでもらったりしていたので雄谷良成氏にとって、彼らはごく身近な存在だったそうです。
1965年に白山市法人本部の敷地内に知的障害児の施設を建て、お寺の本堂で寝泊まりしていた子どもたちはその施設で預かったそうです。

雄谷良成氏は、金沢大学教育学部に進学したものの、家業を継がずに特別支援学級教員や青年海外協力隊の活動をしたりしていました。
青年海外協力隊から戻った後は、新聞記者となりました。

雄谷良成氏の福祉施設の運営のはじまり

新聞記者時代に転機が訪れます。
少年時代を一緒に過ごしたある障害者の入水騒動がおこります。当時、佛子園は児童施設だけだったので、卒業すると頼る人がなくなるような環境だったそうです。
「児童施設だけでは不十分。障害者福祉について真剣に考えなければ、そして、自分を家族のように育ててくれた人たちを助けなければと思いました。」と雄谷良成氏は、当時のことを話しています。
また、石川県小松市にあった西圓寺(さいえんじ)の廃寺騒動で、檀家の方や近所の方など関係者の話合いに触れることになり、いろいろな人の思いを受け、西圓寺をいろいろな人がごちゃまぜに集まれる施設にしたそうです。

雄谷良成氏は、「人を育てる人を育てたい」を大切にしているとのことです。
運営者が後継者を育てられるようになるということだそうです。

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雄谷良成氏が運営する施設

2010年 能登町に地ビール工房やレストラン等を運営する福祉施設「日本海倶楽部」。
2008年には「廃寺になるあの寺をなんとかしてほしい」と頼られ、障害者の就労継続支援や生活介護、高齢者デイサービス、放課後等デイサービス、児童発達支援、地域の人々が集まれるカフェの機能も設けた「山草二木 西圓寺」の立上げ。
2014年高齢者や大学生、障害者などが分け隔てなく共生する地域拠点「シェア金沢」
(児童施設は金沢市に移転)
2015年 三草二木 行善寺 「B’s行善寺」(白山市の児童施設あと)
2018年「輪島KABULET」、を開設。
2024年 『NOTO, NOT ALONE 研究所』を能登半島地震からの“創造的復興”に向けて輪島KABULETの就労事業として立ち上げたそうです。

まとめ

雄谷良成氏は、子どものころから障害をもった子どもたちと家族のように暮らし、特別なことではなかったのでしょうね。また、いろいろな個性をもった人とかかわったことで余計に「ごちゃませ」の良さを感じていたのでしょう。
社会福祉法人佛子園のHPをみると本当にいろいろなことをされていますが、「ごちゃませ」をいう筋が通った活動のようです。

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