赤松利市は漫画喫茶生活をしながら作家活動をしている?小説「ボダ子」のモデルとなった娘は今どうしてる?【激レアさんを連れてきた】

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こんにちは。
管理人のpirikaです。
5月8日(月)23:15~「激レアさんを連れてきた」に出演の作家赤松利市ですが、みなさん、赤松利市という作家をご存じですか?私は、「激レアさん」に取り上げられるまで赤松利市をいう作家を知りませんでした。
たくさんの賞をとりながら、ホームレス生活をしていいる。4度の結婚など、波乱万丈な人生を送っている作家赤松利市という人を調べてみました。

 
出典:https://honsuki.jp/pickup/26057/

赤松利市の経歴

赤松利市の経歴について調べてみました。
赤松利市(あかまつ りいち)
1956年香川県生まれ。
父親が、植物の後天的抵抗力を世界で初めて立証した方で、世界的有名な植物病理学者だったそうです。そのため、赤松利市は、家族で9歳から11歳までの2年間、アメリカに住んでいたそうです。

太宰治、川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎、西村寿行などの文学作品が好きで理数系だったのにも関わらず文学部へ進学します。大学は関西大学。大学時代は、年間1,000冊を読んで過ごしていたそうです。

大学卒業後は、父親が大手消費者金融会社のオーナーと同窓ということで、「おまえの息子預けないか?」となり、新卒で入社したそうです。
27歳で支店長になっていたそうです。この消費者金融会社の時代に結婚していたようです。
支店長になった後、営業企画本部で株式上場に向けた社内規定作りを朝9時から翌朝4時までという日々が半年間続いたそうです。半年後、家に帰ったら奥さんがいなかった・・・ということです。
その後、30歳で燃え尽き症候群になり会社を辞めたそうです。

会社を辞めた後、赤松利市は、ゴルフ場の芝生管理の仕事を始め、品質管理のビジネスモデル特許を取得し、35歳で会社を起こしたそうです。起業して年商13億円、従業員は125人いたそうです。
そして、55歳まで会社を運営していたそうです。

その間に2回、結婚したようです。
3回目の結婚のとき、娘が生まれたようです。
家族を顧みず仕事にあけくれいて、娘が精神を病んで自傷行為を行っていることを知りませんでした。妻は、他人事のように見ていたそうです。母親から離すため、赤松利市は、娘と2人で2年間ワンルームマンションで生活したそうです。娘が自殺するかもしれないと娘から目が離せず、そうなると仕事が回らなり、2011年55歳のとき、会社をたたんだそうです。
ただ、娘と暮らした2年間は、幸せだったとインタビューで答えています。

東日本大震災後、宮城と福島で土木作業、除染作業を行います。
ここでは、待遇がとても悪かったそうです。
そんな中、娘が自分をもてあそぶ男たちと遁走します。
2016年、赤松利市は、所持金は5000円で、娘を追って東京へ戻り、漫画喫茶か路上で寝る生活が始まったそうです。
2018年には、初めて執筆した「藻屑蟹」が第1回大藪春彦新人賞を受賞し、作家となります。
同年の「鯖」と、2019年の「ボダ子」は山本周五郎賞の候補になりました。
2020年には「犬」が第22回大藪春彦賞を受賞します。
2022年に日本共産党へ入党。

小説「ボダ子」のモデルの娘はどうしてる?

赤松利市と3番目の妻との間に生まれた娘は、境界性パーソナリティー障害、通称ボーダーと診断されました。本のタイトル『ボダ子』はその娘のことだそうです。
境界性パーソナリティー障害は20歳までの自殺率が10%超だそうです。娘は、入院した精神病院で問題を起こして強制退院させられたそうですが、その後、転院を受け入れてくれる病院はなかったので、2人でいっしょに暮したそうです。
「ボダ子」の主人公は、ボダ子の父親ですが、赤松利市の体験をそのままつづったそうです。

会社をたたんでまで世話をした娘は、男と遁走したまま、今も行方はわからないそうです。
そして、3番目の妻もどこにいるかわからないそうです。赤松利市は、4回結婚をしているそうですが、4番目の妻は、籍は、いれたままですが、連絡はとっていないそうです。

赤松利市は今も漫画喫茶生活を続けてる?

2018年に『藻屑蟹』で大藪春彦新人賞を受賞した後、知人の家に転がり込んだときもあったそうですが、その時は、「違う」と感じたそうです。自分みたいな人間が、布団のある所で寝ちゃあかんわと。ホームレスに戻るべきやと思って、その時は、漫画喫茶生活に戻ったそうです。

その後、2020年に「犬」が第22回大藪春彦賞を受賞します。それを機会に漫画喫茶生活を辞めてアパートを借りたそうです。漫画喫茶生活は、4年に及んだそうです。

まとめ

裕福な家庭で育ち、バブル真っ盛りで会社にはいり、「24時間働けますか?」をそのまま生活していたような赤松利市。家族は、それについていけず離婚を繰り返したり、精神の病にかかってしまった娘。年商13億円の会社社長から所持金5000円の漫画喫茶生活へ。まさに人生波乱万丈ですよね。63歳で小説家デビュー。今は、精力的に作品を送り出しているようです。
娘さんと暮らした2年間は、とても幸せだったと言っていましたが、いつか、娘さんと再会できるといいですね。

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作家、クリエーター、著述家他
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