金継ぎでLAに学校を作ったナカムラクニオの経歴は?金継ぎとはなに?【マツコの知らない世界】

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こんにちは
管理人のpirikaです。

今回のマツコの知らない世界に出演する
ナカムラクニオさん
美術の世界で活躍した後、
金継ぎという日本の技に魅せられて
アメリカのロサンゼルスに
キンツギの学校を設立したそうです。
そんなナカムラクニオさんについて調べてみました。


出典:https://shosetsu-maru.com/interviews/genryuno-hito/11

ナカムラクニオさんの経歴は?【学生~金継に出会うまで】

1971年 東京都目黒区生まれ
東京都立日比谷高等学校卒業
日本大学藝術学部美術学科を卒業

ナカムラクニオさんが十五歳の時、
米国人現代美術家ジョナサン・ボロフスキーの展覧会に行き
圧倒され、それからほぼ三百六十五日、
都内じゅうの美術館に通い詰めたそうです。
このころ、ナカムラクニオさんは、
美術活動をはじめたようです。

ナカムラクニオさんは、イラストやデザインのコンペに応募し続けたそうです。
そして、大好きな横尾忠則さんが審査員を務める
『ららぽーと』のロゴデザインコンペに出会いました。
横尾忠則さんに見てもらいたい一心で作品を作ったそうです。

本採用にはならなかったそうですが、横尾忠雄さんに絶賛され、
特別賞と賞金をもらったそうです。
そして、その賞金を使って、
渋谷にあった『電力館』のギャラリーで
17歳で初個展を開いたそうです。

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美術大学か留学を希望していたそうですが、
浪人中の19歳の時、
「君、新しい現代美術館が西麻布にできるから、
解説するアルバイトをしないか」と声をかけられ
現代美術館「PICA(ペンローズ・インスティテュート)」でスタッフになったそうです。
その間、世界中を見て回ったそうです。

家庭の経済事情から希望していた留学は叶わず、
日本国内の大学の美術とも関係ない学部へ。

美術館ガイドと、掛け持っていた目黒通りのビデオ店でのバイトなどに精を出し、お金がたまると海外へ旅する日々を送ったそうです。
ビデオ店のバイトを通じ、映像の魅力を知り就職先にテレビの制作会社を選んだそうです。

テレビの制作会社に入社すると
人気番組「ASAYAN」(テレビ東京系)を手掛け、旅番組を担当し、60か国を回ったそうです。
その後、別会社で「開運!なんでも鑑定団」を担当。
ここで、いろいろな美術品に出会い
自らも魅力にのめり込み、給料をつぎ込み美術品を収集するようになったそうです。

そんな折に出会ったのが「金継ぎ」だそうです。
30歳の時、人間国宝・濱田庄司の作品鑑定のために訪れた栃木・益子の濱田窯で、濱田の息子・晋作に話しかけ、彼の作品をいただいたそうです。とても大切に使っていた湯飲み茶わんだったのに、不注意で欠けてしまったそうです。

その時、「そうだ、金継ぎがある!」

とこれが金継ぎの始まりだったそうです。

その時は、修復を教えてくれる職人さんもいなかったので、東急ハンズで金継ぎの材料を調達し、試行錯誤しながら修復したそうです。
この時、思うより美しくできたそうです。。多忙な毎日で疲弊していた心が、金継ぎでみるみる整ってゆく快感を覚えたそうです。

ナカムラクニオさんは、
近現代美術史に造詣が深く、
ブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)、山種美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム、京都文化博物館、あべのハルカス美術館などで
ギャラリートーク開催。
また、2022年に東京都美術館で開催された
ボストン美術館展では、アートナビゲーターを担当していたそうです。

ナカムラクニオさんの経歴は?【6次元の世界】

ナカムラクニオさんは、37歳の時に会社を退社。
かつて三十年以上続いた伝説のジャズバー「梵天」、そしてその跡地に誕生した喫茶「ひなぎく」だった空間をそのまま全部買い取って使ってくれる人を不動産業者は希望しているというというのを聞いて、即、名乗りを上げたそうです。
更にリノベーションして2008年ブックカフェ「6次元」をオープンしたそうです。

ナカムラクニオさんは、自らが死ぬまでにやりたい三つのことがあったそうです。
それが、「カフェ」「古本屋」「ギャラリー」
このお店で、この三つのやりたいことがかなうと考えたそうです。

ナカムラクニオさんは、村上作品の研究を重ね、村上春樹にまつわる言葉をイラストや豆知識で読み解く『村上春樹語辞典』(誠文堂新光社)を刊行しています。
そこで、ハルキストといわれる人が集まって読書会が開催されていたそうです。
ただ、村上春樹さんだけに関わらず、いろいろな作家の方も訪れているそうです。

このカフェ「6次元」は、毎年、ノーベル文学賞発表の時、村上春樹の小説愛好家らが集い発表の時を待つことでメディアに注目されるお店です。

2019年には、ボストン美術館の展覧会の解説の仕事もしながら、日米で金継ぎ作家としても活動し、2019年にアメリカの画家マコトフジムラと共同で金継ぎの学校「キンツギアカデミー」をロサンゼルスに設立しました。
そして、金継ぎを紹介するビデオを作成し、その映像が動画投稿サイトで世界じゅうに広まりました。その影響で、今、世界中で「KINTSUGI」ブームが沸き起こっているようです。
「ただ単に、壊れたものを修復する行為であることを超え、金継ぎには今やセラピーのイメージが加わっています」

今は、6次元で講座を開催したりもしているそうです。

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金継ぎとは

金継ぎとは割れや欠け、ヒビなどの陶磁器の破損部分を漆によって接着し、金などの金属粉で装飾して仕上げる修復技法です。

1.破片の接着
漆そのままでは、塗った直後の接着力がないため、小麦粉を漆と水で練った麦漆を塗って接着し固化させる。金継ぎに取りかかる前は、器と破片を洗ってよく乾かすことも肝要である。
2.欠けの埋め
漆を厚塗りすると乾きが遅く、縮んで表面が平滑にならない為、漆に米粒・刻苧(こくそ)綿・木粉を混ぜ加水した刻苧漆で欠けた部分を埋める。
3.凹凸の埋め  
漆に砥の粉と水を加えて練った錆漆を割れに沿って塗布し、乾燥した後ヤスリ等で削って平坦にする。
4.下地作り
金粉の発色をよくするため、弁柄(べんがら)漆を割れ目に沿って塗布する。
5.金粉撒き 
地色が明るい場合は、継ぎ目の漆が割れ目に溜まった汚れのように見えて汚い印象を与える場合があるので、上から金または銀、白金などの金属粉を撒いて磨き、修復部分を美しく装飾する。 銀を用いた直しを銀継ぎ、白金を用いた直しを白金継ぎと呼ぶ。

愛用の器を修理して長く使い続けるため、金継ぎの過程や跡をアートとして楽しんだりします。

まとめ

ナカムラクニオさんの名前は、しりませんでしたが、
彼が作成した作品は、pirika世代は、ほとんど知っていると言って過言ではないと思います。
イラストレーター→テレビ制作→金継ぎ→カフェといろいろ違う世界を渡っているようで、「つなぐ」という思いが根底に流れていたというのを今回知りました。

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作家、クリエーター、著述家他
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