横川竟(外食産業のレジェンド)が目指すところは?影響を受けた人は?【カンブリア宮殿】

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こんにちは。
管理人のピリカです。

今回カンブリア宮殿では外食産業のレジェンドの横川竟(よこかわ きわむ)氏を取り上げています。
横川竟氏とはどのような方なのか、どのような実績を積んできたのかを調べてみました。


出典:https://www.works-i.com/works/series/management/detail012.html

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高倉町珈琲 代表取締役会長の横川 竟(きわむ)氏

横川竟(よこかわ きわむ)氏は、1937年(昭和12年)11月1日生まれ。

現在は、高倉町珈琲の代表取締役会長です。
高倉町珈琲は2013年に八王子市高倉町に第1号店をオープンしました。
お店の名前は、1号店の町名から。

高倉町珈琲の売りは、生地にリコッタチーズをたっぷり練り込んだふわふわのリコッタパンケーキ。横川竟氏曰く、「あるとき、東京のお台場のカフェで、パンケーキを食べたんです。自分だったら、これより絶対おいしいものをつくれると。6カ月ほど試行錯誤して完成させました」

高倉町珈琲は、その後首都圏中心と地方の中小都市を含め、全国に37店舗を展開しています。(2023年4月末現在)。
横川竟氏は、もう一度「普段の嫌なことが忘れられる楽しい店をつくろう」と思って高倉町珈琲を作ったそうです。

横川竟氏がなぜ外食産業のレジェンドなのか?

横川竟氏は、6人兄弟(5男1女)の中の4人の兄弟で1970年に東京・府中で一軒の郊外型レストランをオープンさせます。その名はスカイラーク。後にすかいらーくになります。
「普段の嫌なことが忘れられる楽しい店をつくろう」と思って作ったそうです。
日本初のファミリーレストランです。
開店当初は、何度も倒産寸前にまでになっていたそうですが、2.3年経ってとき、また他ではやっていなかった正月の営業を始めたことや、ある小学生が作文にお店のことを書いて学校で発表してくれたことなどいろいろなことが重なってどんどん売上が上がっていたったそうです。

『すかいらーく』をつくるとき「価値ある豊かさの創造」と言っていたそうです。
「いつでもお客様が喜ぶものを創り続けようとしたことが、これまで手掛けてきた店がどれも繁盛店になった一番の要因ではないかと僕は思いますね〟」と横川竟氏は言っています。

1980年、郊外型の「すかいらーく」とは別に、都心型のファミレス、「ジョナサン」を出店。
1981年、300店舗を超したあたりから、経営方針が微妙に変わっていったそうです。楽しい店ではなく、儲かる店にシフトしていったそうです。儲かればいい、という体質になってしまったそうです。
バブル崩壊後の1992年に出店した低価格型ファミレス、「ガスト」の成功を最後に、ファミレスという業態が競争力を失い、すかいらーくグループも迷走を始めます。

2003年(平成15年)には横川竟氏は、兄弟と共にすかいらーくの取締役から退きますが、
2006年(平成18年)3月31日にすかいらーく代表取締役会長兼最高経営責任者に就任します。

しかし、その後、業績不振となり、株主総会で退任を求められ、2008年8月12日に臨時株主総会と取締役会で退任が決定され、退任します。

その後、横川竟氏は、2013年に高倉町珈琲を出店します。ここでもう一度「普段の嫌なことが忘れられる楽しい店をつくろう」と思ったそうです。


出典:https://c-hance.com/bizlog/detail.php?id=123

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横川竟氏が影響を受けた人は?

横川竟氏が忘れられない3つの言葉
1つ目は戦前、満州開拓団の隊長としてかの地に渡り、その地で病没した父親の口ぐせを母親から聞かされて育ったそうです。その言葉が「男は世のために尽くせ」だったそうです。

2つ目は、15歳のとき、生まれ故郷の長野県から東京の冷蔵庫メーカーで住み込みで働くために上京し、目黒にあった伯父の家に泊ったそうですが、その時に伯父さんに言われた言葉だそうです。
「人を騙して儲ける人を商人という。お前はそうではなく、正直な商人になれ。そして儲けた金は独り占めするな」

3つ目は、冷蔵庫メーカーを病気で退社した後、東京・築地の食品問屋に住み込みで働いたそうですが、そこの社長から叩き込まれたのが「お客さまが欲しがるものを揃えろ。品切れは起こすな。よいものを安く売れ」というものだったそうです。

横川竟氏は、この3つの言葉を大切にしながら、高倉町珈琲の経営に反映されているのでしょう。

まとめ

常に自分の理想を追いかける横川竟氏は、常に進化しているようです。
すかいらーくの代表取締役会長兼最高経営責任者を退任したとき、ふつうの人なら、そこで老後に悠々自適な生活をと思うのでしょうが、横川竟氏は、お台場でパンケーキに出会い6ヶ月試行錯誤して開発し、高倉町珈琲をつくるという常に前進ですね。

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